都心から30km余り、東京の通勤圏内で都市化が進む千葉県柏市の郊外にあります。
米145ha(みらい農場含む)ジャガイモ2ha、小麦30ha、大豆22haのほか、
飼料用米の栽培も行い、ラジコンヘリの利用や、GPS田植機の導入など近代的な農業とともに、
消費者による「米クラブ」の活動や、保育園、小中学生の米づくり体験など、幅広い生産者と消費者の交流事業を始めた。
●機械施設
トラクター7台
田植機8条2台
コンバイン6条3台
汎用コンバイン1台
トラック2t 3台
フォークリフト2台
籾すり機6インチ
乾燥機70石4基
精米施設
籾乾燥貯蔵施設
育苗ハウス10棟
米倉庫
【関連会社】
(有)アグリプラス 農産物直売所【かしわで】および農家レストランを運営する法人
(有)柏みらい農場 河川敷の休耕地を農地に復活させ、米麦・野菜を経営する法人
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農業技術通信社(2005.2.1) 農業経営者 染谷茂
●柏染谷農場
1949 年千葉県柏市生まれ。68 年に高校を卒業後就農。
一度会社勤めに転向したが、約3 年の工場勤務の後、再び農業の世界に戻る。
2003年、利根川沿いに広がるゴルフ場予定地の圃湯開発を引き受け、
(有)柏みらい農場を発足させると同時に代表取締役に就任。
100ha を超える圃場で大規模な土地利用型農業を展開し、水稲、麦、大豆、ジャガイモ等を生産する。
2004年、生産地であると同時に消費地でもある柏の立地を活かし、
有志の生産者と共に農産物直売所「かしわで」をオープン。
同店を運営する(株)アグリプラスの代表取締役も務める。
【Freeman 雑記帳 (平成13.10.20) 】 農業再生の旗手「染谷茂さん 俺がやらずに誰がやる」
日本の農業の未来の可能性を示す農場が千葉県柏市にあります。
長さ3.5 キロ 、広さは108 ヘクタールと、日本の耕地の平均の50 倍に達します。
この広大な農地の主役は『染谷茂さん(64) 』。
東の端から出発すると、すぐ田んぼを指し『これはゼンショーとの契約水田』。
農協や市場を通さず、大手外食や食品会社にじかに売る『契約栽培』は、作物を大量につくる大規模農場の特権。
さらに走ると、収穫を終えたジャガイモ畑が。『ここはカルビーとの契約』。
その先には吉野家のための水田や、カゴメに出荷するトマト畑が広がります。
新しい技術にも挑戦。『これが直まきの田んぼ』。タネを直接まいて田植えを省き、コストを下げる手法。
西の端に近づくと、背丈の違う稲が交互に並ぶ田んぼが。
種苗会社の発注で、雄株と雌株を掛け合わせています。
荒れ地の開墾に規模拡大、流入する安い外国産との闘い・・。
日本の農業が抱える課題に染谷さんは真正面から挑み続けて来ました。
108 ヘクタールの農場も、かつては雑草が生い茂る放棄地でした。
農地に戻すため、柏市が農家を募ったのが10 年前。
ほかの農家が『一部なら』と尻込みする中で、『全部やる』と答えた染谷さんに白羽の矢が立ちました。
開墾は2003 年に開始。
ヨシをトラクターでなぎ倒し、金属片やタイヤなど、誰かが捨てた山のようなゴミをどけ、再び雑草に分け入ります。
仲間の農家の江口さん(45) は『数百メートルまで視界が開けた時の爽快さは忘れられない』と。
井戸を掘り、発電機を付け、ついにすべての面積で作付けが出来るようになったのが昨年。(平成12年)
田畑が細かく分かれた日本ではまず例のない地続きの巨大農場が誕生。
そこは販路や技術を様々に組み合わせた実験農場にもなりました。
その頃、中国産のネギが洪水のように流入し、地元のネギはただ同然の投げ売りに。
『どうすれば柏の農業を守れるか』。
悩んだ末に出した答が「直売所』でした。大消費地の首都圏にあるという地の利を生かす作戦。
十数人の展家と資金を出し合い、直売所を開いたのが04年だが広告を打つお金もなく、客足はまばら。
周囲からは『そのうちつぶれる』と陰口も。
開店から2 年半の間、出資者は無給で働きました。
『儲けが欲しくて店を作った訳じゃない。みんなそう思って頑張った』。
直売所にも参加した江口さんは振り返ります。
客もクチコミで徐々に増え、3 年で黒字に。今では地元を中心に200 人を超す農家が出荷するまで成長しました。
日本有数の大型経営になった染谷さんに、今や政府も教えを請います。
8 月末には内閣府の職員が自宅を訪ねて、どんな制度をつくれば規模拡大が進むのか意見を聞くために。
民主党時代には当時副総理だった岡田克也さんも訪れました。
そんな染谷さんが恐れるのが、日本の農業者の数が足りなくなること。
今年5 月には知り合いの農家が病気で亡くなって。
十数ヘクタールの中規模経営で、新しく乾燥施設を作ったばかり。
息子は病院勤めの医療技師。
染谷は『お金のことだけを考えれば、今のままが楽でいい。だが、それでいいのか」と説得。
『オヤジがやりかけたことを君がやってくれ』。
息子は後を継ぐことを決意しました。
染谷さんはふと自分が就農した40 年前のことを思い出します。
初めは工業団地の送迎バスの運転手でした。
だが『悔いのないー生を』と思い、就農しました。
実家の農地はわずか1.5ヘクタール。
利根川の河川敷に畑を作ることから、挑戦続きの農家人生が始まりました。
TPP 参加による競争激化や高齢農家の引退など、日本の農業を取り巻く環境はますます厳しくなります。
『それでもやる』。そう決意する若者が増えてくることを、染谷さんは願っています。
仙台の農業法人が、今月秋田県大潟に日本一の『コメ生産農業法人』を設立するそうです。
TPP をきっかけというか、これ以上は衰退しかないという日本の農業再生に取り組みます。
染谷さんの40 年の努力を見るにつけ、農水省の官僚達、農林議員、JA はこの長い時間ー体何をやってきたのでしょうか。
単に利権の確保、補助金漬けの農業しか残っていません。関係者にはみんな頭を丸めて欲しいというのが、私の偽らざる気持ちです。
大野晴夫com 2016.5.11
く自動走行トラクター>
千葉県柏市でコメや小麦を作る染谷茂さん(66) はクポタ製の自動走行トラクタ一を導入した。
運転管理システムに100 万円かかったが「販売量から逆算して生産計画を立てた。
商品量の確保に必要な効率化投資になる」と踏み切った。
経営感覚を養ったのは仲間と始めた株式会社方式の直売場だ。「価格も会社で決める。自分で売るから成長の方向が見えてきた」